境内案内
① 本 殿 ほんでん
② 楼 門 ろうもん
③ 手水舟 ちょうずぶね
④ 石燈籠 いしどうろう
⑤ 拝殿 はいでん
⑥ 金丸塚 かねまるづか
本 殿(ほんでん)
一棟/木造/三間社流造/瓦棒銅板葺/江戸時代
天正5年(1577)の建造と伝えられ、大関美作守高増(おおぜきみまさかのかみたかます)より奉納された同年の年紀のある「鰐口」(栃木県指定文化財)がある。
現在の社殿は、銅棟札に記されているとおり、寛永18年(1641)に黒羽藩主大関高増(1616-46)によって再建されたものである。大関氏の定紋である沢瀉(おもだか)の丸紋彫物など独創的な装飾が多用されており、また外部の柱や長押などに施された様々な繫(つなぎ)文様の彩色や金箔押(きんぱくおし)、内部の鮮やかな色彩の装飾絵画はいずれも当初のものである。
中世における地方の建築様式と江戸初期の華やかな桃山建築の様式が融合された、重要な本殿建築の建物となっている。
① 本 殿(ほんでん)
一棟/木造/三間社流造/瓦棒銅板葺/江戸時代
天正5年(1577)の建造と伝えられ、大関美作守高増(おおぜきみまさかのかみたかます)より奉納された同年の年紀のある「鰐口」(栃木県指定文化財)がある。
現在の社殿は、銅棟札に記されているとおり、寛永18年(1641)に黒羽藩主大関高増(1616-46)によって再建されたものである。大関氏の定紋である沢瀉(おもだか)の丸紋彫物など独創的な装飾が多用されており、また外部の柱や長押などに施された様々な繫(つなぎ)文様の彩色や金箔押(きんぱくおし)、内部の鮮やかな色彩の装飾絵画はいずれも当初のものである。
中世における地方の建築様式と江戸初期の華やかな桃山建築の様式が融合された、重要な本殿建築の建物となっている。
② 楼 門(ろうもん)
一棟/木造/三間一戸楼門/銅板葺/江戸時代
本殿と一連で、寛永19年(1642)に黒羽藩主大関高増によって建造された建物。禅宗様式を基調とした、極彩色の豪壮な建物である。
楼門の部材の墨書から、「日光山」の「大工小伝次(だいくこでんじ)」が建築に携わっていたことがわかる。
③ 手水舟(ちょうずぶね)
一基/石造/江戸時代
縦90.0cm×横157.0cm×高さ77.0cm
寛永19年(1642)に黒羽藩主大関高増が、「所願成就」のために「造立」した手水舟である。石材には芦野石を用いている
④ 石燈籠(いしどうろう)
二基/石造/江戸時代
竿直径45.0cm×高さ290.0cm
寛永19年(1642)に黒羽藩主大関高増が、「所願成就」のために「造立」した石燈籠である。石材には芦野石を用いている。
⑤ 拝殿(はいでん)
一棟/木造/寄棟造/瓦棒銅板葺/明治時代
現在の拝殿は明治17年の再建。唐破風造の向拝部分は本殿や楼門と同様の様式で当初に建てられた四ツ脚の唐門だったとみられる。
⑥ 金丸塚(かねまるづか)
金丸塚は、仁徳天皇の時代に下野国造(しもつけくにのみやつこ)の奈良別命(ならわけのみこ)とが下野国の鎮護のために金瓊(きんけい)(黄金の玉)を埋めて塚を築いたものと伝わっている。周辺一帯の金丸という地名は、この塚に由来しているともいわれている。
装飾と宝物
本殿 外陣内部
本殿 内外陣堺板扉
鷹図絵馬
太刀 伝 弘綱
太刀 銘 一
銅製鰐口(文和4年銘)
銅製鰐口(天正5年銘)
長谷川信近(宗伯)「八幡神像」